gerahaのブログ

テーマは決めていませんが、何か思いついたことを書きたいと思います。

第二話 私がドンタイタスと出会った時代

さて、どこから記録したものか迷うところだが、私が初めてドンタイタスと出会った頃のことを思い出し、そこから話を進めていくことにしよう。

私はその頃、天の川銀河にある居住可能惑星<テラ>JP州のS地区で医療公務員をしていた。医療公務員の仕事は、まず病気に罹った患者の遺伝的特徴と症状のデータを中央管理システムのAIに送信する。それが既知の病気であれば、AIから適切な治療情報を受け取って患者に投薬するか、治療センターに患者を移送する。未知の病気であれば、精密検査センターに患者を移送したあと、検査結果に基づいて医療専門家を集め、治療法についてのカンファレンスを開催し、治療方針を決める。ざっと言えば、そのくらいだ。

さて、どのくらい昔の時代の読者がこの記録に接しているかが気になるところだ。読者が生活する時代にもよるだろうが、私が医療公務に従事していた頃の社会の様子をお伝えしたほうが良いだろうと思ったので、脱線になるが、ここで簡単に触れておく。ご存知の方であれば、以降の節は読み飛ばしていただいても差し支えない。

この記録を受け取る読者の時代として可能性が高いのは、情報の記録媒体として電磁気力が使われていた時代以降だろうと思う。少なくともその時代以降であれば、情報の遠距離伝達と複製に難儀がないはずなので、必然として、この記録も多くの人に行き渡りやすい。とりあえずは、<テラ>で電磁気力を媒体として情報を伝えていた時代の人々に伝える前提で、説明していこう。

私が生まれるよりはるか昔、情報の主な伝達媒体が電磁気力だったころ、<テラ>には「営利企業」という組織が多くあり、多くの人々はそこに所属して一生のほとんどの時間を費やしたと聞く。営利企業は、受益者や競合企業との情報の非対称性をリソースとして、自身への利益を生み出し、それを生存の糧とする。つまり、営利企業が長く生き延びるためには、ほかの誰もが知らないか、知っていても真似のしづらい手法を多く持っておき、囲い込み、なおかつ限られた市場の中で利益を食い合う他者を蹴落としていく必要がある。そのような具合だから、受益者や社会への貢献よりも、自身の生き残りと勢力拡張の方が、営利企業、そしてそこに所属する人々の主な関心になる。

営利企業が存在した時代のテーマは、「ゼロサムゲーム」、「奪い合い」、「弱肉強食」などと表現できるかもしれない。それぞれの営利企業が抱く生存への欲求と(…それは、死への恐れの裏返しでもあるが…)、競争に勝ち上がって「成功」を手にしたい個人の野心が原動力となり、科学技術が進歩し、社会のあり方も変わっていった。そしてその恩恵は、その時代ではやはり、恵まれたごく一部の者たちに多く降り注いだ。一方で、恵まれない者たち、競走から振り落とされた者たちには、もっぱら冷たい視線が注がれた。余っているところから分け合えばともに豊かになれるはずの知的生命体の同胞同士で、格差や、断絶が生まれた。そして、交通や通信技術の発達とともに、豊かさの集中が加速し、格差や断絶は次第に大きくなる傾向をみせていた…というのが、その時代に対する、私の個人的な印象だ。

しかしその後まもなく、時代のテーマは切り替わる。知識の蓄積と技術の進歩がある臨界点を超えた結果、生活に必要なものは、誰もが苦労なく、自分で工面できるようになったのだ。

この「臨界点超え」に最も大きな貢献を果たしたのは、大雑把に言えば、「機械の操縦やメンテナンスを、機械自身の判断のもとで、自動的に実行できるようにする」技術と「空気中の窒素と二酸化炭素から常温常圧、低コストで丈夫な素材や化学溶媒を作る」技術だ。自律的に動き、他の機械を操縦する機械自体も、機械によって低コストに大量複製可能になり、なおかつその素材も温室効果ガスである二酸化炭素自体が材料なので、大量生産による環境負荷も非常に少ない。当初は、このような自律機械たちの生産をあえて制限して独占しようとする動きもあったようだが、なにぶん、製法を記した論文が一般公開されており、世界中のどこでも安価に製作できるため、恵まれているか否かに関係なく、自律機械はすべての人に行き渡る結果となった。

これによって、人々に忌避されがちな重労働や危険労働は、次第に機械の手で行われるようになった。さらに時代が進むと、社会にとって必須な労働はほとんどすべて機械の手にわたり、人々が働く必要はなくなってしまった。農業も建設業も、炊事洗濯、風呂トイレの掃除も、その修理も、最初から最後まで機械がやる世の中になったのだ。もちろん、そのような仕事を自分自身の手でやりたい人は、従来通りにやっていた。

「生存のための労働」が必要とされない時代になると、多くの人は自身の存在意義を見出すため、すすんで物質的な報酬のない労働に就くか、または機械にたよらず、なるべく自身の手で生存に必要なものを生み出すようになった。いまや、無償の奉仕労働になった公務員の職は、人々が余暇を有意義に消化するための受け皿になった。私もその受け皿に飛び込んだ一人だ。

私が生まれ、医療公務員として生活した時代では、もはや人々は「生存のために必死になる」必要がなくなっていた。何かに熱くなったり、一生懸命になったりしなくても、何不自由なく生きていける。

食料はあり余り、資源については100%に近い割合でリサイクルできる仕組みやルールが整備されたので、領域間で何かを奪い合う必要がなくなった。金銭はかつて「権威」や「豊かさ」の象徴とされ、その力で人を使役するような時代もあったようだが、すでに「交換のための道具」以上の意味を持たなくなっていた。

このような時代、多くの人々にとって「生きる意味の探究」がテーマとなった。人々の生活に余裕が生まれると、「生きること」が目的から手段に変化していったとも言える。人々は限りある命を何に使うのか考え、目的を求めて彷徨い、あるものは一応の結論に着地し、別のあるものは生涯探し続けた。

一時の住処として「医療公務員」という陸地に不時着した私もまた、探究者としての自分を燻らせていた。患者に向かい合って難病と闘ってみたいと思い、医療専門家になるための勉強をしたかと思えば、仕事とは全く関係のない小説の分野で、多くの人の心を動かそうと、試作を作っていたこともある(しかしどうにも、文章表現とは難しいものだ…)。

ドンタイタスと出会う幸運を得られたのは、そのようなときであった。いや、ドンタイタスという友人を得られたことは確かに幸運なのだが、この出会いをきっかけとして私に定まった運命は、ある意味では、幸運とは言えないものかもしれない。

 

前置きが長くなって申し訳ない。いよいよこれから、私とドンタイタスが出会った日からの記録を記していこうと思う。