言葉になる前の話
人が何かを発するときは、たぶん、
「言葉」が最初から出てくるのではなくて、
「伝えたい内容」がまずあって、それが文字で表現された「言葉」になって出てくる。
つまり、「言葉になる前の話」がある。たぶんね。
(驚き)→「あっ」
の(驚き)みたいな何かが。
その、(驚き)自体も言葉なわけだけど、(驚き)と名前を付けられる前の、何らかの状態が存在すると思うんだ。
つまり、言葉は単なる仮の名前。シンボルであって、
本人がその言葉を発するキッカケとなった「最初の何か」そのものじゃない。
あらゆる人は、その根っこのところで、ピュアな「最初の何か」を持っているはずだ。
無理やり言葉にするなら、
「何かを見つけたい。」
ということだろうと思う。
「何か」は確かに存在していて、心の奥の方の、最も純粋なところはそれを知っている。
今ある言葉に存在しなかったり、または言葉にできないことの方が多いとは思う。でも、確かにそれは存在する。
中高一貫の男子校で、中学3年生のときに、修学旅行で沖縄にいった。
真上から照らす明るい日ざしの下、芝生に囲まれた石畳の小道を歩いていた。友だちとふざけながら、露店で買ったヤシの実のジュースを回し飲みした。そこに、並びたつ大きなシュロの木が影を落とす。近くの建物から垂れさがる何らかの幕、そして、遠くまで広がる芝を眺めていると、いい風が制服の半袖を撫でた。涼しい。そこにTHE BOOMの「風になりたい」が流れた。
当時は曲名も知らず、「いいBGMだ」と思っていただけ。でも、今考えると、その時その場面、その雰囲気と自分の感情に当てはめるとしたら、ほかにふさわしい曲はおそらくなかっただろう。
そこで僕たちは出会った。というより、思い返せば、出会っていた。
言葉になる前のものに。
だから確信できる。それは存在すると。
言葉でどう表現したらよいかわからない。たぶん、言葉になる前の話だから。
これは、個人個人が持つ、一つの神話だろうと思っている。
人類が共有する神話とは別に、個人にはきっと神話があって、見つけられるのを待っていると思う。
そこで人は、もしかしたら「ありきたりな存在」と思っていた自分自身に、未知の謎があると知るのかもしれない。
これは、言葉で表し切れないもの。言葉になる前の話。
たぶんね。